『クラシカロイド』第1シリーズ第20話 その名はモーツァルト 振り返りレビュー
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『クラシカロイド』1期20話の感想(過去記事)は以下のリンクからお進み下さい。なお、画像は次回の振り返りレビュー公開直前に削除します。
【感想の感想】
この回の感想記事は今でもアクセス数が多いです。人気のエピソードなので、私の文章力は関係ないことは承知しています。中には画像を見るのがメインのかたもおられるでしょう。それらはすべて承知の上ですが、多くのかたの目に触れるこの記事で「わかったふりして何かを断言しなくてよかったな」と今つくづく思います。もちろん、なんだか中途半端な書き方をしていて居心地が悪いと感じる部分はあります。それでも、わかったつもりで決めてかかるよりはるかにマシ。これは逃げでは無く、その時点でできる精一杯の書き方です。無難に書くつもりはありませんが、わからないことに無理矢理結論を出そうとしないのも一つの向き合い方だと改めて思いました。私はつい深追いしがちなので、このことは肝に銘じておきます。
【新たな気付きポイント】
この回の疾風怒濤ムジークはもはや伝説と言っても過言ではないと思います。誰にも聴かせず一人で完結するムジークは後にも先にもこの疾風怒濤のみ。モツが皆から離れて行動した点ではハマゴン回のレクイエムもそうですが、そちらは思いっきり周りを巻き込むスタイルですからね。第1シリーズのクライマックスにおけるムジーク百花繚乱の時でさえ登場しなかった疾風怒濤。当然ながらムジークシーンを見られるのはこの20話のみです。ムジーク曲そのものの格好良さに加え、クラシカロイド・モツと17歳の恋人・モーツァルトがシンクロする美しい作画…「考えるな感じろ」の精神でどっぷりつかるのがよさそうです。後付けで色々と考察はできるとは思います。しかしきっとどれも正解ではないでしょうし、むしろ見直すたびに感じ方が変わるのは楽しいと個人的には考えます。「モツは天才だから」の一言で片付けちゃうのさえもったいない。
そもそも同じ曲であっても聴く人や状況によって感じ方は千差万別なのでは?『クラシカロイド』の「ムジーク」は曲のアレンジも映像も大胆で素晴らしいのは確か。その反面、インパクトが強烈なためある一つの解釈を強く印象づけてしまう危うさだってある気がするのです。原曲は田舎ののどかな情景を描いている「田園」が、ムジーク化により戦闘イメージが出来てしまったのが良い例です。個人的には大胆な解釈それ自体が悪いとは思いません。それに私はそんな『クラシカロイド』が大好きですから。ただ、「音楽は自由じゃなきゃつまらない」のに、自由な試みによって生まれたある特定の解釈が、結果として固定化されてしまうのは窮屈だなとは思います。その点、疾風怒濤ムジークの場合はムジークにわかりやすい効果を持たせなかった上、何も言葉で説明していません。原曲は「交響曲第25番」でモーツアルト17歳の時の作品…前情報は理解の手助けになるかもしれませんが、これだってあくまで事実のみ。音楽と映像はめちゃくちゃカッコ良くて引き込まれるけれど、制作側がその「意味」を何も説明していないところがこのお話と疾風怒濤ムジークのキモだと私は感じました。これは、制作スタッフの「視聴者に解釈を委ねる」覚悟でもあるのかもしれません。
見方によってはこの回は最初から最後までシリアスです。モツだけがイタズラで盛り上がっている一方で、周りの態度は冷ややか。モツが一人で暗いオルガンの広間で「全然知りあいじゃない」おばあさまの写真に話しかけるのも、バスケの少年を見つめる姿も、どことなく寂しいです。もちろんそれらはすべて最後のムジークシーンにつながる布石だったわけですが、もし最初から最後まで重苦しい雰囲気が続いたのならムジークシーンはさほど盛り上がらなかったかも?モツのイタズラや中世風音羽館(※シューさん妄想)やモツパニック等々たっぷりのコメディ成分が入ってメリハリがついたのだと思います。そして、例えばシリアスなお話でもクロイツェル回やジョリー回は「笑い」をオチにしていますが、疾風怒濤は本気のムジークの余韻を残したままエンディングになりました。もちろんどの回もそうなのですが、笑うところとそうでないところの緩急の付け方はさすがです。
モツをトラに襲わせ、自分達はイッツアミラクルモーニング!フォッフォー!になっている中世風音羽館。シューさんの妄想炸裂しているこのシーンは大好きです。この回限りのクラシカルな装いが楽しいし、ベトがやたら落ち着いた貴族風な話し方をするのが新鮮だし、何よりベトと歌苗ちゃんが仲良しなのがうれしい。それにしても、前回19話で「安易なカップル成立は認めない!」と息巻いていたシューさんがですよ、妄想の中でさえベト歌の仲を認めているのがすごいなって思います。シューさんはいつも先輩を見ているのに、その先輩の視線の先にいるのは大家殿だと気付いちゃったのかも?そう思うとちょっぴり切ないです。あ、でも家賃を「くだらないシステム」と一蹴する図太さはあるので、きっとシューさんは大丈夫!何もしていないのにお風呂に突き落とされたり、モツパニックでも鉄球の下敷きになったりと受難続きのシューさん。それでもみんなが動けなくなったときに「大家殿立って!」と一人で歌苗ちゃんを励ます強さがあります。凧にさらわれちゃいましたが(お約束)。
16歳の歌苗ちゃんはハマゴン回ではあくまで「大家として」の付き合い方だったのに、この回ではすっかり音羽館のママンみたいな存在になっていますね。「ご飯抜き」なんて古典的な約束事をしてみても、落ち込んでいるモツに「お好み焼き食べよう?」と声をかけるとか、子供のイタズラに向き合うおかんそのもの。モツを心配してみんなで尾行したときだって、他のメンバーが燃え尽きてもヤカンやタライが降ってきてもくじけずひたすらモツの様子を影から見守っています。モツが一人で山の方に向かうときの「帰って…くるよね?」が好きです。また、自分も食事をとらずモツの分と二人前をテーブルに用意して待っているシーンがとても良いなと思います。広い屋敷にずっと一人きりで暮らしてきた歌苗ちゃん、家族のようにわいわい暮らす居候達と出会えてよかったね。それでも住人達は家賃を払って家事もやってください!
その他。アバンはバスケ少年を見るモツ。モツは誰よりも早起きして色々とイタズラを仕込む。どれも他愛ない。シューさんは見えないメガネかけているから、モツの装飾を実は気に入ってる?みんなはどうやってあの深い落とし穴がら抜けだしたの?中世風音羽館、シューさんってば装いはいつもと大差ないのに一番テンション高い。モツ以外のロイド達でトラを買う算段、「ルー君まで!」の叫びが悲痛。リスト姐さんコワイです。歌苗ちゃんの本気の目もコワイ。奏助は当たり前のように夕飯に混ざる。隅っこで座禅組むモツが神々しい。お好み焼きの準備で小学生男子っぽい遊びをしてもOKでは?なのにみんな冷たい目。「全然知りあいじゃない」おばあさまの写真に話しかけるモツ、耳に手をあててきちんと聴く姿勢がお行儀がいいと思うの。シューさんの鼻歌が「ます」だ!オサカナになっちゃう/// 押すなよ!絶対に押すなよ!「シューくんのばか!」は当人じゃ無くても「は?」だと思う。みんなに心配されて、モツは愛されているよ。みんながシューさんを放っておくのはシューさんがしっかり者だからかも?その日からモツは毎日黙って出かけて、帰りは夜。シューさんの憶測が積年の恨み込みで格が違う。モツの鼻歌はアイネクライネナハトムジークだ。チョッちゃんは出かける前から「帰ろう」。こんな大勢で尾行したら目立つって!パッド君の百面相が面白い。機械なのに感情豊か。先輩が落ちた川はきっと浅い。シューさんボロボロなのに大家殿に手をさしのべるって男前!でも凧にはかなわない。ヤカンやタライはどこから降ってきたの?そのキノコは凡人には食べられる気がしない。モツのお散歩ではネコや花を愛でる姿も。アバンのバスケ少年…一人で頑張っているのね。歌苗ちゃんにバスケ少年のことは話したのに、自分のことはまったく語らないモツ。山に行くときも「17歳の恋人に会ってくる」。歌苗ちゃんの「帰ってくるよね?」に無言でうなずいてくれてありがとうモツ。皆さんいつの間に!?シューさんはおのれモーツァルトをどうしても犯罪者にしたいらしい。ルー君だけ「ヴォルフのやつ」ってわかっているのがニクイ。ムジークシーンはとにかく見ましょう!バッハが外の異変に気付いたね。歌苗ちゃんは自分も食べずに待っているなんて、女神だわ…。ムジークの余韻のまま、エンディングに。
入手したその日に勢いだけで書いたムジコレ3のざっくりレビュー記事のリンクをはっておきます。疾風怒濤は1曲目に入っています。
最後までおつきあい頂きありがとうございました。
※この記事は「アニメ『クラシカロイド』のことを書くブログ(http://nyaon-c.hatenablog.com/)」のブロガー・にゃおん(nyaon_c)が書いたものです。他サイトに全部または一部を転載されているのを見つけたかたは、お手数ですがお知らせ下さいませ。ツイッターID:@nyaon_c